時を越え音色よみがえる〜仁礼小80年前のリードオルガン

2018-06-09 07:00 am by 須坂新聞

お知らせ icon 仁礼小学校に古くから保管されていた1939(昭和14)年頃の製造と思われるリードオルガンがこのほど修復され、重厚でやわらかな音色がよみがえった。「歴史的資料」として後世に残そうと卒業生らで今年1月に立ち上げた「リードオルガン修復保存を願う会」(8人)が、旧仁礼村の同窓生らを中心に寄付を募った。今月22日に行われる同校の音楽会で修復完成披露式を行う。
 修復を手掛けたのは、同校1948(昭和23)年卒業生の和久井輝夫さん(81、須坂市北相之島町)。小中学校のピアノ調律や全国から寄せられるオルガン、さらに東日本大震災で津波被害を受けたオルガンも手掛けるなど、全国的に知られる修復師だ。
 毎年開いている小学校の同級会で和久井さんは、仁礼小の音楽準備室にある昔のリードオルガンは貴重だと話したことがある。その古いオルガンの歴史的価値に理解を示した目黒淳茂さん(仁礼栃倉)が中心となり、「いい状態にして後世に残そう」と、発起人6人、顧問の掘内文夫さん・宮沢慶男さん(当時の恩師)で修復保存を願う会を立ち上げた。
 このオルガンはヤマハオルガン第10号型(足踏みリードオルガン)。61鍵11個ストップ(音栓)付き。低音部4列笛。高音部3列笛。ニースエル(強音膝杆) ・フルオルガン(全音栓膝杆)。重さは約210kg。製造番号291148。ストップの組み合わせで多様な音色を奏でることができる。
 仁礼尋常高等小学校、国民学校、仁礼小学校、東村立南部小学校、須坂市立仁礼小学校と名称は変遷してきたが、ピアノが導入されるまでの間、授業などで使用されていたもの。上位機種で現在の価格にして300万円ほど。1941(昭和16)年〜翌年頃に購入されたと思われる。
 戦争勃発、国内情勢も不安な時代、こうした高価なリードオルガンがどのようして学校に導入されたかは不明。「地域出身の成功者による寄付だったのかもしれないが、仁礼誌などにも記されていない」(学校、保存を願う会)という。
 分かっている範囲では、同型のリードオルガンが東京都練馬区立石神井公園ふるさと文化館に収蔵され、区の登録文化財に指定されている(石神井西小学校で使われていたもの)。
 和久井さんの修復作業は約4カ月に及んだ。各部の分解、バルブの清掃、リード磨き、調整、ペダルの修復、組み立てなど、どれも繊細かつ大掛かり。塗装は専門業者に、オルガンカバー、専用イスの制作は関係者に依頼した。調律して新品同様になり、先月29日に和久井さんの工房から仁礼小へ運び込まれた。この先、50年、100年先まで使えるという。
 22日の校内音楽会で行う修復完成披露式では、リードオルガンの音色に同校6年生による土笛の伴奏を加え、会場全体で童謡「ふるさと」を歌う。
◇   ◇
 修復保存の裏側には悲しい出来事もあった。3月28日午後に行われた発起人会。修復費用の寄付金が予想以上のスピードで約1カ月、100人ほどの協力を得てすでに目標金額100万円に達しそう、との報告があった。その夜、目黒さんは不慮の事故で奥さんと共に他界―。地域に、願う会に、そして和久井さんに大きなショックが走った。
 願う会事務局長の田中敏治さん(69、仁礼町)は、「異例のスピードで寄付金が集まったのは目黒さんが中心になって動いてくれたからなのでは。多方面で郷土愛を注いだ方。人望の厚さを感じる。体調を悪くされ、今回のことが自分のできる最後の仕事、とおっしゃっていた。修復したオルガンの音色を聞いてもらうことができず残念。オルガンを仁礼小そして須坂市の宝として、今後の文化、教育に有効活用されることが、目黒さんが最も望んでいることだと思う」と話す。
 願う会の会長は目黒さんと同級生の駒津信一(のぶかず)さん(米子町)に引き継がれている。

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