?石山合戦の喚鐘?を複製〜普願寺

2016-09-03 07:00 am by 須坂新聞

お知らせ icon 普願寺(須坂市南原町)は、現在の大阪城の地にあった石山本願寺と織田信長が戦った石山合戦(1570〜80)の時に使われたとされる喚鐘を昨年まで使ってきたが、破損が著しいことから1年余をかけて複製した。先ごろ、請け負った「岩澤の梵鐘(ぼんしょう)株式会社」(京都市)が新しい鐘を本堂に設置した。実物は同寺に収蔵された。9月25日には業田昭映副住職が照賢住職から引き継ぐ住職継職法要を行う。
 新しい鐘は、住職継職を記念し、門徒から寺へ寄贈される。新旧共に高さ85cm、口径40cmほど。新鐘を厚くした分、重さは25kg増え125kgに。
 「響きの穏やかな低めのご要望に応えた」(岩澤一除ミ=いっこう=社長)。「響きとともに重厚感がある」(業田副住職)。
 喚鐘は、勤行(ごんぎょう)や法会(ほうえ)の開始を報じる半鐘。副住職によると、鐘などの音は寺では合図に使われる。1.集まれ―は梵鐘(鐘楼の釣り鐘)を突く「集会鐘(しゅうえしょう)」 2.僧の着替え(衣体=えたい=着用)の合図にたたく「木版(もくはん)」 3.青銅や鉄製板状の打ち物を鳴らし開始を告げる「雲版(うんぱん)」―に続くのが喚鐘の役割という。
 石山合戦の際は、攻めろ、引けの合図に使われたのか、何も伝わっていない。
 江戸時代に書かれた『三峯紀聞』には「陣鐘」と紹介される。本文「大巌山に音色最上の陣鐘一口ありて秘蔵す。形ちも細き物也。上代の物と見えたり。賞すべし」
 石澤社長(62)は8月3日の設置時の取材に「鐘の歴史の中ではそんなに古い物ではないが、胴長が珍しい。鋳物師(いもじ)の個性か」と評した。
 同社は国宝の復元、修理なども数多く手掛ける。同業は現在京都では1社、全国でも3社ほどという。石澤社長は18歳から45年間に全国の半数の2,500口を手掛けているという。普願寺鐘楼の梵鐘は昭和31年の「鋳匠京都岩澤徹誠」氏(現社長の父)の作。
 中世史に詳しい村石正行さん(県立歴史館)は先ごろの取材に「伝承は残っているが、検証は金属工芸の専門家に見ていただくのがいい。今後解明される分野か」と話す。

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