「憎っくき家康」山下徹さん(山下薬局)が語る

2013-08-03 07:00 am by 須坂新聞

趣味・生活 icon 須坂市立博物館で9月16日まで開催中の特別展「山下八右衛門家秘蔵資料〜このまちと400年・薬種商が遺した須坂」の一環で、同展に資料を提供している山下徹さん(須坂市中町、山下薬局)が「憎っくき家康」をテーマに、同館の展示会場で講演した。戦国時代の荒波の中で山下家が須坂に移住、江戸末期には須坂藩の藩御用達商人として地域に定着した秘話などを紹介。約50人が熱心に聞いた。
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 私の先祖は戦国時代、三河(現愛知県)で薬種商を営んでいた。浄土真宗本願寺の信徒で一向宗と呼ばれ、僧侶、武士、農民、商工業者などによって、旦那寺を中心に信仰による強い結び付きを持っていて、戦国大名にとっては脅威であった。信徒たちが戦国大名に抵抗して起こした一揆の総称を一向一揆という。
 三河では1563年、家康の家臣が上宮寺(一向宗)から強制的に糧米を徴収しようとしたため、三河本願寺を中心に家康に対抗した。これが有名な「三河の一向一揆」。門徒の中には家康の家臣も多く加わって戦いが繰り広げられた。翌年2月に和議を結ぶが、家康は宗門停止の触れを出して改宗を迫ると共に、本願寺の末寺を破壊するなど弾圧を加えた。まさに「憎っくき家康」である。
 宗旨替えを拒否した門徒有志は故郷の三河を去り、信義が厚いと名高い上杉謙信を頼って北信濃へ移動した。謙信は快く受け入れ、その時の安堵状は現存している。須坂に移り住んだ山下家は薬種商を営み、薬のほか食品、雑貨などを扱った。現在のドラッグストアのような店だ。
 1570年には本願寺法主の顕如が織田信長に対抗して石山本願寺に籠って戦った石山合戦が起こる。本願寺側の鉄砲隊(雑賀衆)は信長軍を凌ぐ命中率で信長を苦しめたが、朝廷の仲介で和議が結ばれた。当時山下家の祖先も籠城した。作家の司馬遼太郎は著書の中で、彼の祖先も籠城したと書いており、不思議な縁を感じる。
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 同展では、薬種商関係をはじめ、文化人とのつながりや須坂藩との関わりを示す資料など約140点を展示、江戸期の須坂の歴史・民俗・文化を知る貴重な内容となっている。
 山下さんの講演は全3回。8月11日に「犬を虐待する」、9月15日に「佐久間象山と杏」を各日午後2時から同館で開く。8月8日午後2時からは学芸員によるギャラリートーク、8月25日午後1時半からは南部地域公民館で市誌編さん室専門員によるリレートーク「山下家の文書から須坂をみる」を開く。月曜定休。同館☎026-245-0407。

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