錦洞、西堀父子の俳句など150枚〜桃源舎五世の子孫宅に短冊残る

2013-04-13 07:00 am by 須坂新聞

お知らせ icon 須坂地域の俳諧宗匠で知られる桃源舎錦洞(とうげんしゃきんどう、1823〜93)の門弟幽栖(ゆうせい)と子で桃源舎五世嶋栖(島栖、とうせい)の子孫西堀幸(みゆき)さん(80、相之島町)宅に俳人の短冊作品150枚が残っていることが分かった。俳人の活動時期(幕末〜昭和)から、小林一茶(1763〜1827)との関係はないようだが、錦洞や幽栖・嶋栖父子を取り巻く須坂地域の文化人の交流の足跡が読み取れそうだ。
 俳文学会会員田子修一さん(元高校国語科教諭、須坂市上町)の調査によると、内訳は地元著名俳人が9人で64枚。地元俳人は10人で41枚。不明45枚。内容は、錦洞を中心に集まった門弟や地元俳人らが古希や喜寿を祝うために交わした「あいさつ句」などで、個人の個性的な作品はほとんど見られないという。
 幽栖は実名西堀弥助。源信寺(相之島町)境内には遁世舎社中が大正10年に建立した幽栖の句碑がある。
 嶋栖は、西堀幸さんによると実名西堀幾三郎。幽栖の子で桃源舎五世。臥竜公園から芝宮墨坂神社境内に移転した桃源舎句碑(二世玄司、三世芹洞、四世農仙の3人の句、昭和15年建立)の発起人として刻まれている。
 錦洞は実名羽生田順平。『須坂市人物誌』によると、高橋赤山(生年不明〜1853)について漢学・俳諧を学び、赤山の跡を継いだ。須坂藩主堀直格公から桃源舎錦洞の名を賜ったといわれる。門弟の中に幽栖がいる。
 短冊は錦洞の7枚をはじめ、幽栖4枚、嶋栖2枚、中山潮堂(ちょうどう、中野・間山)1枚、桐里(とうり、長野市柳原近辺)2枚、寿泉院に句碑がある箕由(みゆう、須坂市須坂)33枚、亀年(きねん、相之島)5枚、内田寿賛(神主、長野市長沼近辺)9枚、琴朗(きんろう、山ノ内)1枚(以上、地元著名俳人)。
 そのほか須坂周辺の俳人は関山(8枚)社山(1枚)などで明治から昭和まで幅広い。
 調査に当たった生涯学習スポーツ課は「短冊を読み解けば錦洞を取り巻く俳人の交友関係が分かる」と言う。
 短冊は西堀幸さんによると、35年ほど前、物置を整理した時に発見した。幸さんの義父菊太郎さんの当時の話では、菊太郎さんの父幾三郎さん、祖父弥助さんは俳句の師だったというが、詳しいことは伝わっていない。西堀家にはほかに句を貼ったびょうぶがある。
 田子さんは10日の取材に「他地区の中心的俳人の短冊作品が残っていることから、西堀父子は豊洲地区の中心的俳人だったことが分かる。不明の句が多いことから地元相之島地区の俳諧人口の多さを感じる」と話す。
 桃源舎は現六世まで知られている。一世羽生田錦洞(東横町・羽生田家)▽二世羽生田玄司(長野市柳原・羽生田家)▽三世北村芹洞=きんどう=(須坂市上町・北村家)▽四世小林農仙(太子町・小林家)▽五世西堀嶋栖(相之島町・西堀家)▽六世池田みち女(長野市柳原・羽生田家出身、東京)。

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