【元旦号特集】感謝の気持ちが力に〜中村良隆元須坂園芸監督が講演

2013-01-01 07:01 am by 須坂新聞

趣味・生活 icon■強い絆
 須坂園芸の選手たちは素直でひたむきな子が多かった。仲間意識が強く、チーム、母校のために頑張るという考えが根底にあった。絆も強かった。
 私も若かったのでスパルタ式で選手を鍛えた。部費が十分ではなかったので果樹作業のアルバイトで遠征費を稼ぐなどしていた。
 3年間、園芸で監督を務めた後、丸子実に異動した年の夏の大会の準決勝で、園芸と対戦することになった。複雑な気持ちだった。園芸に勝たせたかったがこっち(丸子実)も出場停止明けだった。
 丸子実のベンチから園芸の選手の動きを見ていたらこれは勝てないと思った。そつがなく、隙もなかった。それほど素晴らしい選手はいなかったし、今の選手と比べてもそれほど違わなかったと思うが、それぞれが自分の力を知っていた。
 園芸の選手は自信を持って戦っていた。丸子実は萎縮していた。結局コールド負けだった。まぐれでも、偶然でもない。優勝すべくして優勝したという感じを受けた。
 人間は生理的な1次欲求があり、次に物やお金が欲しいなどの2次的な欲求がある。私が考えるに3次的欲求というのは人から信頼、尊敬されたいという気持ち。そして欲求の中で最も高いのは人から感謝されたいという気持ちでは。
■全員野球
 全員野球というのは3、4次欲求を満足させる。仲間から信頼されたい、仲間に喜んでもらいたい、感謝されたい、後輩に尊敬されたいなど。
 当時の園芸は、相手ベンチから見ていてそう感じた。選手同士のつながりが非常に強かった。感謝の気持ちでつながっていると絶対に崩れない。それが力以上のものを出せて優勝につながった。
 あの時、ベンチでは「おい頼むぞ」「よし任せとけ」そして「ありがとう」こういう言葉が飛び交っていたのではないかと思う。
■ありがとう
 人から「ありがとう。お前のおかげだよ」と言われるのは喜び。感謝された喜びは心に残り、長く続く。それが自分のエネルギーに変わる。感謝されると元気が出る。そうした時は強い。
 上田東高の時も控え選手が非常に元気だった。レギュラーになりたい気持ちを抑えて打撃投手に専念していた選手がいた。練習では常に対戦投手のことを想定してレギュラーに投げていた。
 その選手は自分は出場できないが、自分の代わりにみんなが試合で活躍している姿を見て、涙が出たと言っていた。
 なぜ涙を流したかというとレギュラーに感謝されたから。その選手はいよいよ甲子園に出場する時は肩が上がらなかった。必死になって打撃投手を務めたからもう投げられなかった。だからレギュラーも彼のためにという気持ちになった。
 佐久長聖にはレギュラーになる条件が3つある。1つは技術的にうまい、2つ目は仲間に心から応援してもらえる、3つ目は仲間への感謝の気持ち。この3つがないとレギュラーになれない。
 仲間に対して「ありがとう」という気持ちを持った時は心が非常に純粋になる。嫌なことや辛いこと、苦しいこと、不安、迷いなどの雑念が消える。心が安定してそのことだけに集中できる。自分の最大限の力が出せる。自分で気がつかないような力が出てくる。
 当時の園芸の選手もそうだったのではないか。仲間のためにと。だから普段できないようなことができた。
 外に対しては人とのつながりを強める。人に勇気、元気を与える。辛くて、苦しい時ほど「ありがとう」という言葉が出てくる人間になってほしい。
■言葉で変わる
 人間は言葉を出すことによって変わる。言葉が変われば考え方が変わる。考え方が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば性格が変わる。そうすると表情、仕草が変わる。周りの環境が変わってくる。最後は人生も変わってくる。グラウンドで前向きな声を出しているとだんだんそうしたチームになってくる。 
     (おわり)

【中村良隆さん】1941年、丸子町(現上田市)生まれ。高校教諭で丸子実、須坂園芸、上田東、佐久長聖の野球部監督を歴任。甲子園出場は夏9回、春4回。67年4月〜70年3月に園芸監督を務めた。直後の70年夏に園芸は県大会で優勝し、甲子園に出場した。

2013-01-01 07:01 am by 須坂新聞 - 0 コメント



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