【東日本大震災・長野県北部地震】須高からも支援の動き続々

2011-03-19 07:00 am by 須坂新聞

お知らせ icon 11日に発生した東日本大震災は1万人を超える死者・行方不明者を出すなど各地に甚大な被害をもたらした。12日の長野県北部地震も栄村で多数の家屋が倒壊するなど現在も多くの村民が避難生活を送っている。須高地区では人的被害などは確認されなかったが、小売店で商品が不足したり、東北地方に営業所などを置く企業で経済活動に支障をきたすなど地震の影響は各方面に広がっている。一方で、須坂市消防本部が県緊急消防援助隊として宮城県で捜索活動をしたり、須坂市などが栄村に給水車を、県立須坂病院が医師らを派遣したほか、個人、団体でも義援金や救援物資の協力が始まるなど被災者支援の動きが活発化している。(関連記事は須坂新聞3月19日特別版2、3、24面に)

 11日の東日本大震災発生を受け、須坂市消防本部は県緊急消防援助隊の一員として職員9人(消火隊5人、救急隊3人、支援1人)が発生3時間後の5時50分、同本部をポンプ車1台、救急車1台、指令車1台で出発。県内部隊と合流し、北陸・磐越・東北の各自動車道を乗り継いで、県隊の活動区域の宮城県塩釜市に向かった。
 2度の給油のほか、磐梯高原付近では積雪・圧雪に見舞われ、現地に近づくにつれ道路の亀裂が目立つようになり速度制限を余儀なくされたため、塩釜市内の塩釜地区消防本部(5市町で構成)に到着したのは12日午前10時40分、大幅に時間を費やした。須坂の活動区域は塩釜市よりさらに海に突き出た七ケ浜町となり、消火隊は早速現地へ、救急隊は本部に待機した。
 その消火隊が七ケ浜で見たものは津波で流された町、平面的な風景しか残っていなかった。同隊の山小忠久さんは「想像を絶する被害の大きさで、何をどうしていいのか分からなかった。消火隊として向かったが、大半は行方不明者の捜索をした。人力で動かせるものを動かし、人がいるかどうかを確認した。翌日も夕方まで同じ仕事に従事したが、余震や津波の危険を感じながらの捜索で、実際に3回警報が出て避難した」と振り返った。
 救急隊はけが人や急病患者の搬送に従事、6回出動した。地元の消防職員が同乗し、道案内をした。同隊の宮崎誠吾さんは「道が寸断され、行く手を何度も阻まれた。遠くは仙台市まで搬送した。至る所で津波の爪跡が残り、その凄まじさを感じた」という。
 この1次隊は14日早朝、須坂に戻り、引き続き、2次隊(13〜15日)と3次隊(15〜18日)が出動した。市の公用車で現地に行き、先発隊が同車で須坂に戻っている。今後も要請に応じて出動するという。

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