平林豪君 夢舞台「甲子園」へ

2005-08-13 12:00 am by 須坂新聞

学校・教育 icon 第87回全国高校野球選手権山梨大会で日本航空高校が優勝、6番・レフトで不動のレギュラー、須坂市北横町出身の平林豪君(3年)が夢舞台「甲子園」の切符を手にした。
 平林君は小3で森上クラブに入部して野球を始め、須坂シニアでは4番・捕手として活躍、県内外の強豪校から誘いを受けたが、同高の伊藤雄波監督が高山村での大会を直々に視察、その熱意に甲子園への夢を賭け、同校へ飛び込んだ。
 強打強肩俊足の平林君(176センチ、75キロ)は、好選手が集まり部員が90人以上いる中でも三拍子が揃う選手として期待が大きかったが、2年の夏はケガでベンチ入りできず、秋の新チームから打撃と肩を生かすためレフトを守り、クリーンナップを打ってきた。
 夏の大会は6番に固定されたが、勝負強さを買われてのもので打線の核として活躍。初戦から決勝まで5試合連続安打をマークした。初戦の富士学苑戦は延長にもつれ込んだが、平林君は先頭打者で二塁打を放ち、サヨナラ勝ちのホームを踏み=写真、3回戦の東海大甲府戦でも先制タイムリーを叩き出すなど活躍、結局、ノーシードの日本航空はシード校4校を撃破して、3年ぶり4回目の甲子園出場を決めた。
 平林君は「甲子園は夢の舞台。自分の力を試したい」と抱負。会社員の父隆文さん・母孝子さん(現在は南原町在住)も「豪はどうしても甲子園に行きたくて山梨まで行った。念願が叶って本人もうれしいだろうし、私たちもうれしい。感謝の気持ちを忘れずに、甲子園でも精一杯頑張ってほしい」と話している。
 隆文さんも元高校球児で須坂商業の強打者として鳴らした。2年の時は決勝で松商学園に敗れ、優勝候補だった3年(主将)では準決勝で涙を飲み、あこがれの甲子園を2年連続で逃した。その年優勝したのが同じ須坂市内の須坂園芸。その時の悔しさは今でも忘れられず、30年以上を経て親の無念を子が果たすドラマのような展開に、隆文さんはスタンドで涙が止まらなかったという。
 一方、長野大会で優勝した松商学園の遠山裕太主将の母と隆文さんがいとこの間柄で、平林家は二重の喜び。平林君と遠山君は親戚であり同学年であり野球をやっていることで仲が良く、メールなどで励まし合い、2人揃って夢をつかんだ。
 全国大会は8月6日に開幕、組み合わせ抽選は3日に行われる。

2005-08-13 12:00 am by 須坂新聞 - 0 コメント



須坂新聞


 須坂新聞はタブロイド判(20P~24P)で毎週土曜発行(年間48回)長野県須高地域(須坂市・小布施町・高山村・長野市若穂地区)で購読をいただいております。また配達地域外でも郵送にてご購読いただけます。購読料は1100円(月額/税込)です。購読お申し込みはこちらから。