「毎日を大切に」震災から学ぶ〜豊丘小6年生と保護者が慰霊祭

2016-03-19 07:00 am by 須坂新聞

学校・教育 icon 須坂市立豊丘小学校の6年生16人(担任・中島洋一教諭)と6年生PTA(土屋敦子学級会長)は、東日本大震災から5年を迎えることから13日、亡くなった人の冥福と一日も早い復興を祈り、昇降口前で黙とうをささげた。慰霊祭ではほかに児童4人が思いを朗読した。福島県大熊町から白馬村に移住し、大熊町に通い、行方不明の次女の捜索を続ける木村紀夫さん(50)に作文を贈った。
 黙とうは、地震が発生した時刻の2時46分に合わせた。昨年亡くなった古畑一彦前校長の冥福も祈った。
 震災から5年の思いについて、児童は「生きている私たちは、命を落とした人の分まで頑張って生きないといけない」。「明るく元気に過ごす人がいる。たくさんの人が幸せに過ごせるように願っている」。「一日一日を大切にする人が増えるといい」。「一日も早い復興と行方不明者全員の発見を」と朗読した。
 学級会長の土屋さんは、21年前に神戸市で阪神淡路大震災に遭った。木村さんとは2年前の夏に知り合った。木村さんは昨年2月、同校高学年に命の大切さを講演。今回2度目の講演に来校した。
 木村さんは6人家族(両親と夫妻、女子2人)だった。福島県富岡町の牧場勤務中に被災した。母は福島県内で生活し、長女(中3)と4年前に白馬村に。父と妻は津波に流され遺体で発見された。次女(当時7歳)は今も捜索中。自宅のあった大熊町は放射線量が高い帰還困難区域。白い防護服を着け、仲間と年間30日の許される滞在時間を次女の捜索に充てている。
 大熊町の現状をビデオ上映後、木村さんは「原発事故により私の町は基本的に誰も入れない。何不自由なく生きていける私たちの周りにある便利なものは当たり前ではない。震災は5年も過ぎているが、震災を思い生きている人が大勢いる。見つかっていない家族を捜し続ける人も大勢いる。がれきの中から遺骨が見つかり、DNA鑑定により家族の元に帰る、そういう現実がいまだに続いていることをぜひ考えてほしい」と静かに語った。
 土屋さんは、21年前の阪神淡路大震災でいろんな人に助けられ、被災体験を語りながら生きてきたという。昨年1月、大震災20周年追悼式に参加した。
 児童がこの日歌った歌は、阪神淡路大震災に被災した音楽教諭臼井真さんが震災直後に作詞・作曲した「しあわせ運べるように」。土屋さんは、子供たちに震災の教訓を伝え、自らの命を守ることのできる人になってほしいと願い、神戸―須坂―東北へ思いをつなげようと呼び掛けた。
 慰霊祭では昨年6月に開いた防災親子レクの際に作った竹灯籠をともした。
 渋谷茂夫校長は「昨年に続いて木村さんにお越しいただいた。子供たちは命の大切さや人のつながりの大切さを学んだ」。
 中島教諭は「皆さんは5年前は1年生だった。私は佐久市で4年生を担任していた。防災学習や歌、木村さんのお話を通して何かを感じてくれたと思う。中学生、高校生、大人になった時、何かの行動につながればうれしい」と期待した。

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