2012-12-15 07:00 am by 須坂新聞
市生涯学習スポーツ課は先ごろ、県道新田春木線拡幅工事に伴う小河原遺跡群発掘調査(小河原町、今年10月〜来年1月予定)の現地説明会を開いた。調査は2区に分かれ、2区からは円面硯(えんめんけん)の一部が見つかった。田中一穂学芸員は「円面硯は役所か寺の存在を語る。高井郡の役所は中野市にあった可能性が高い。ここは左願寺廃寺跡が近くにあり、ムラの寺と考えるのが順当」と話す。
小河原遺跡群は松川扇状地の扇端部に位置する。南小河原町から新田町にかけて県道新田春木線を挟み、段丘崖上に帯状に南北約2km、東西約250mの範囲に広がる。
調査地点はそのほぼ中央。設置された信号機「小河原町」から北へ約50mの付近。幅2.5m〜4.2m、延長270mを予定。1区は約140平方メートル。2区は約270平方メートル。全体は約1,120平方メートルを予定する。
発掘された円面硯は市内では金井原遺跡、井上・幸高遺跡群に続き3例目。約8cmの須恵器(すえき、陶質の土器)の破片から直径約16cmの円形の硯(すずり)とみられる。
円面硯とは古代の硯の一種で、中央に平らな面を設け、周りに溝を巡らし、下方に台脚をつけたものをいう。経文などの文字をしたためたとみられる。
旧道路の石列の間から出土。市は「近くにあったものが土留め石列構築時に入り込んだもの」とみている。
幸高で今年見つかった円面硯(9世紀後半〜10世紀)より古いとみられる。
付近に古代寺院があった重要な根拠となる遺物で、田中学芸員は「以前から周辺で古瓦や仏像が出ていて、今調査で7世紀末〜8世紀初めに寺があったことがほぼ確定すると思う。調査地点は寺の周辺にあったムラの一部に当たる。農具(鉄製品)を使い、農業に従事しながら寺とともに生活した様子がうかがわれる」と話す。
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