夢の甲子園を振り返る〜須園と須商の出場選手が講演

2012-09-02 07:00 am by 須坂新聞

趣味・生活 icon 市立博物館は、開催中の特別展「学舎(まなびや)の轍(わだち)〜須坂・高校教育100年」に併せ先ごろ、記念講演会を南部地域公民館で開いた。昭和45年の第52回全国高校野球選手権大会に出場した矢島清史さん(須坂園芸高校元主将、小布施町)と、昭和46年の第53回大会に出場した金井年男さん(須坂商業高校元投手、埼玉県所沢市)が須園、須商野球部の栄光の日々を振り返った。

■「充実感と大きなプレゼント」
 矢島さんは、長野大会を制して須坂市に戻ると「人があふれていた。須坂駅前で優勝祝賀会が開かれ、市内パレードをして学校に戻ったのは夜。市中がお祭り状態だった。翌日の新聞を見て夢でないことをあらためて実感した。長野会場だったことや、チームの和ができ、1日でも長く試合がしたいと無欲で全員野球ができたこと、勢いに乗ったことなど運が向いていたことが大きな要因だった」「甲子園に行こうと2年間手塩にかけて育てていただいた中村監督(45年春転出)に恩返しができたと思った」と語った。
 甲子園はスタンドの大きさに圧倒され「今でも感激は忘れられない。芝と土のコントラストに不安も感じた」「リンゴ園の跡取りチームと話題になった。平安高校との対戦は0―13で完敗だったが、野球を通じて人生が大きく変わった。人と出会い、今日がある。苦しかった練習の向こうに成し遂げた充実感と大きなプレゼントをもらい、幸せを感じている」と締めくくった。

■「苦しい練習あってこその栄冠」

 一方、金井さんは、「先輩たちが甲子園に行けなかった悔しい思いを何とか晴らしたいと思ったが、投手になった2年秋の大会はあっけなく負けてしまった。松野監督は練習しかないとの方針で365日練習に明け暮れた。自転車で中野から学校に通ってグラウンドで汗を流した」「あの練習があったからこそ甲子園出場の栄冠を手にできた。最後まであきらめない強い精神力と忍耐力を養い、自信につながった」
 3年最後の夏は、冬の間に鍛えた効果が出た。長野大会2回戦で伊那天竜高校と対戦して、延長17回に四球とけん制悪送球で勝ち越した。その勢いのまま県大会を制覇した。
 決勝戦の最後は三振、ファールチップで仕切り直して、紙吹雪が二度舞った。
 「2年連続で優勝旗が千曲川を渡り、須坂市から連続で甲子園に行くぞという声援が聞こえ、市民が心から喜んでくれたことを今でも心に残っている」
 甲子園の対戦相手は愛媛代表の今治西。「初回に2点取られ、1点ずつかえして3―2で勝っていたが、九回に追いつかれ、打たれ、マウンドでうずくまった記憶がある」
 「甲子園は行った人でないと分からない独特の雰囲気がある。人と出会い、指導を受けたことが役立っている。礼儀正しく、言葉遣いをしっかりすること、気配りができること、会話が大切と学んだ」と語った。

2012-09-02 07:00 am by 須坂新聞 - 0 コメント



須坂新聞


 須坂新聞はタブロイド判(20P~24P)で毎週土曜発行(年間48回)長野県須高地域(須坂市・小布施町・高山村・長野市若穂地区)で購読をいただいております。また配達地域外でも郵送にてご購読いただけます。購読料は1100円(月額/税込)です。購読お申し込みはこちらから。