坂田雅子監督〜母と夫が背中押し映画完成

2012-06-17 07:00 am by 須坂新聞

趣味・生活 icon NPO法人P・Kパラダイス(横山励子代表)は10日、須坂市出身のドキュメンタリー映画監督、坂田雅子さんを招き、メセナホールで講演会と講師を囲んで座談会形式の「ぺちゃく茶談義」、映画「沈黙の春を生きて」を鑑賞した。坂田監督は脱原発運動を続けた故坂田静子さんの次女。講演の中で「母と夫(ベトナム帰還兵で2003年に枯れ葉剤の影響で他界したグレッグ・デイビスさん)によってドキュメンタリー映画で問い続ける力を与えられた」と語った。
 映画は第1作「花はどこへいった」(2007)の続編で昨年公開された。米国がベトナム戦争で散布した枯れ葉剤(猛毒のダイオキシンを含む)によって今も両国の子や孫の世代に深刻な影響を与え、悲しみが続く実態を明らかにした。
 1962年に『沈黙の春』を出版した米国海洋生物学者で作家のレイチェル・カーソン(1907〜64)が語った「人類は今までにない試練に直面している。自然を征服することを誇るのではなく、私たち自身を制御することが大切」の意味が出版から50年後の今問われていると訴える。
 坂田監督は「第1作はカメラのレンズの前で起こることを追うのが精いっぱいだった。ベトナムの、貧しい中にも慈しみ深い家族の絆を、カメラを通して見、夫を亡くした私の悲しい心は癒やされていった。ベトナムの人たちがそれぞれの物語を語ってくれて、夫が私の背中を押してくれてできた。その後、物語は終わっていないことに気づいた。2作目はもっと広い脈絡で、幅広く歴史的社会的観点から作りたいと思った」と2作目に取り組む意図を語った。
 さらに「枯れ葉剤によってもたらされた環境と人間の破壊はレイチェル・カーソンが予言したものだと気づいた。枯れ葉剤の被害は国境を越え、時代を超えて今も続いている」
 「3・11(昨年)以前に戻れるとしたら、私は第2次世界大戦前に時計を戻したい。化学薬品(枯れ葉剤)も原子力(原爆)も戦争の落とし子。私たちが育った時代は、原発が育った時代。原発の危険性を教えてくれた母は、ミニコミ『聞いてください』を作り、配った。母の決断は大きな一歩だったと思う」
 「問題を突きつけられて見ようとしなかった70年代に戻ってみなければ始まらない。過去に行動を起こしていたら何かが変わっていたかもしれない。再び後悔することがないように今原発をやめる決意をしなければならない。一人の力は小さいが、集まれば世の動きを変えることができると証明する時だ。敬愛する小田実(まこと)さんの言葉〈巻き込まれつつ巻き返す〉は今こそその時だと思う」と結んだ。
 講演後、パネラーの最上隆夫さん(中学同級生)は「社会の不条理に抗議する姿勢はよく分かった。加害者が被害者の立場で考えようとしないのは日本でも同様に起きている」と指摘した=写真下。
 パネラーはほかに青木みどりさん(読者、須坂発・特別支援教育を考える会代表)、横山代表、司会進行の文平玲子さんが語った。
 今回は創刊4年目を迎えた元気ママ応援マガジン[ペチャ・クチャ]の第1回学習会として開いた。
 坂田監督は1948年、須坂市生まれ。長野西高校在学中に米国に留学し、帰国後、京都大学文学部に進学。70年に結婚。フォト・ジャーナリストの夫の仕事を手伝い、76年から写真通信社インペリアル・プレスに勤務。後、社長に。映画は2作品を発表している。

2012-06-17 07:00 am by 須坂新聞 - 0 コメント



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