新潟県から亀倉一族が来訪〜亀倉神社秋祭りで氏子と交流

2011-10-09 07:00 am by 須坂新聞

お知らせ icon 江戸時代(推定)に現須坂市亀倉町から現新潟県燕市(旧西蒲原郡吉田町)へ移った亀倉與五左衛門(かめくら・よござえもん)の子孫に当たる亀倉家一族から関係者6人が1日、亀倉神社の秋季大祭前夜祭に訪れた。片山光一宮司が執り行う祭事に出席し、境内で氏子に紹介され、あいさつした。今年3月、亀倉町区が発行した『亀倉誌』の編さん過程で判明し、阪牧吉次氏子総代長が招待状を送って実現した。
 阪牧氏子総代長によると、20年ほど前、テレビ番組で東京五輪のポスター制作者、亀倉雄策さん(その後平成9年逝去、享年82歳)が紹介され、新潟県出身とのことで亀倉町とつながりがありそうだと思って調べた。
 美術年鑑には載っていなかったが、彫金で有名な日展作家の亀倉蒲舟(ほしゅう)さん(その後平成10年逝去、享年91歳)が載っていて、編さん委員でもあった阪牧氏子総代長が手紙を出したところ、亀倉家一族に詳しい親戚、片桐良五さん(燕市)を紹介された。17年ほど前に片桐さんから「亀倉與五左衛門系図」(亀倉茂男宗家所蔵)のコピーが送られ、時を経て『亀倉誌』に掲載された。
 1日の取材や同系図を総合すると、新潟へ移った亀倉與五左衛門家は、その昔川中島の戦い(16世紀)の後、亀倉村(須坂市亀倉町)に住んで姓を長谷川から亀倉に変え、代々與五左衛門を名乗った。その後、亀倉町から新開地の越後へ移った。
 系図には詳しく書かれているが、片桐さんは取材に「史実かどうか証明する手段がないので肯定も否定もできない」と述べた。
 阪牧氏子総代長は取材に「亀倉を名乗る領主がいて亀倉という地名がついたと推定して調べたが、地名が先で姓が後だった。亀倉姓は亀倉町にはおられないが、新潟亀倉家一族にとってのルーツはわが町亀倉。亀倉神社は現氏子の先祖も新潟へ移った亀倉家の人々もお参りし、親しみを感じる」と話す。
 来訪した亀倉家の一行は、12代当主亀倉茂男さん(77)片桐良五さん(78)亀倉ミイさん(77)亀倉孝浩さん(51、ミイさんの長男)亀倉正さん(70、亀倉蒲舟さんの三男)宮路勝栄さん(74)。
 亀倉孝浩さんによると、亀倉姓は旧吉田町に30軒ほど。全国には200軒ほど。新潟県内や関東圏に多く、九州熊本から北海道まで同姓が電話帳調べで確認されているという。
 『亀倉誌』によると、亀倉村という地名が歴史に登場するのは慶長7(1602)年の森忠政「右近検地」から。同系図は、江戸時代に入る40年ほど前(永禄年間)には亀倉村が存在していたことを示すが、確定に至ってはいない。

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