2011-08-07 07:00 am by 須坂新聞
昨年12月に85歳で亡くなった須坂市井上町の塩崎哲雄さんの遺族は先ごろ、哲雄さんが書き残していた第2次世界大戦の出征記録を1冊の本「空の青春」として出版。くしくも終戦の日の8月15日が哲雄さんの誕生日にあたり、遺族は、戦争に身を投じた青春を送った哲雄さんへの思いや平和の尊さを改めてかみしめている。
哲雄さんは16歳で旧制須坂中学を中退、甲種飛行予科練習生第9期(土浦海軍航空隊)に入隊し、卒業後は鹿児島・指宿海軍航空隊に配属、ボルネオ島・セレベス島・マニラなど東南アジアに赴き、ジャカルタで終戦を迎えた。21歳で復員後は消防行政に携わり、昭和59年に須坂市消防署長で退職。その後は農業の傍ら、農業委員や保護司などを務め、61年に勲六等瑞宝章を受章している。
妻房子さんによれば、哲雄さんが執筆を始めたのは、今は26歳の孫聡さんが小学校4年生の時、夏休みの自由研究で戦争中の体験を聞いたことがきっかけという。それまでは一切口にしなかったが、前書きに「私が入隊した9期は入隊者860名のうち638名が戦死。戦死率は81%であり、私が体験した戦争のエピソードを書き残すことが幸運にも生き残った19%の一人である私の使命」と記すように、その後は暇を見ては執筆を進め、ワープロ3台をつぶしたという。
本にする作業は生前から家族により進められていたが、哲雄さんは昨年12月2日、完成を見ることなく他界。だが、ちょうどその日に最初の校正刷りが届き、その校正刷りは棺の中に納められた。
そして、出来上がった本は四六判、本文205ページ。4ページの口絵と15ページの資料編もある。本文は▽予科練志願▽裸の鶏▽空の地獄▽潜航する敵潜水艦への攻撃▽しつこい敵機▽武者震い▽水漬く屍▽生死を分けた下駄の鼻緒▽観念の眼を閉じれば▽特攻訓練▽プジョン収容所―の11章立て。
房子さんが「よくこれだけのことを覚えていたものだ」と驚くように、詳細な記録とその時の偽らざる心境が綴られている。
さらに、前書きや後書きでは「南の空で幾度か味わった、死を直前にした時の生きんがための必死の努力と忍耐、そしてやっと帰還した時の喜びを思い出す度、生きていることのすばらしさをしみじみとかみしめている。命の大切さを心から思う。人間は命ある限り努力、そして最善を尽くす、この言葉が私の人生訓となっている。当時の私と同世代の若者たちにこんな青春もあったのかと知ってもらえれば幸い」と、今を生きる人たちへメッセージを送っている。
本は須坂市や長野市の公共図書館などに置いてある。
2011-08-07 07:00 am by 須坂新聞 - 0 コメント
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