2011-04-24 07:00 am by 須坂新聞
須坂市教育委員会は先ごろ、市指定文化財に8件を指定した。有形文化財は「じゃく譜」(市立博物館所蔵)の1件。天然記念物は「東照寺の桜」
(米子)「万竜寺の桜」(亀倉)「金毘羅山(こんぴらさん)の桜」(亀倉)「亀倉神社の桜」(亀倉)「高顕寺の桜」(仁礼)「大広院の桜」(下八町)「洞入(ぼらいり)観音堂のイチョウ」(豊丘)の7件。
「じゃく譜」は旧須坂藩13代藩主堀直虎が文久元(1861)年に序文を書いた桜の図譜。江戸時代後期に近江・仁正寺藩主市橋長昭が作らせた桜の図譜「花譜」(宮内庁所蔵)を写本したものとされる。250余の桜花図が描かれ、品種は180余種を数え、現在確認できない桜も描かれ、貴重とされる。
編さん者を堀直虎とは異なるとする説(父直格=なおただ)や直虎とする説がある。また、模写は狩野派の絵師、直格、直虎とする説があり、直虎本人説が有力とされる。
写本は3種類あり、ほか2種類は国立国会図書館に所蔵されている。市の指定有形文化財は34件目。
東照寺の桜は推定樹齢350年〜400年のシダレザクラ。幹周5.25m、樹高9m、樹冠10.2m。寺は元禄14(1701)年に相之島から移転。寺よりも100年ほど早く植えられたと考えられる。当該地の敷地が一段高く、移転前には中世に由来する居館跡の可能性もあるとする。
万竜寺の桜はシダレザクラ2本。十王堂の桜は推定樹齢350年。幹周4.25m、樹高9m、樹冠16.5m。本堂前の桜は推定樹齢300年。幹周4.64m、樹高15m、樹冠20.5m。寺は元和3(1617)年に但唱(たんしょう)上人が開山し、10年後現在地に移転したと伝わる。十王堂の桜は移転のころ植えられたと考えられ、本堂前の桜はその50年後と推定される。
金毘羅山の桜は推定樹齢200年のシダレザクラ2本。参道入り口向かって右側は幹周3.13m、樹高16m、樹冠15m。墓地東端は幹周2.3m、樹高15m、樹冠21.3m。2本とも万竜寺をめぐって植えられたシダレザクラ群の中にある。
亀倉神社の桜は推定樹齢200年のシダレザクラ2本。参道口左は幹周2.81m、樹高12m、樹冠14m。参道口右は幹周3.68m、樹高13.35m、樹冠9.5m。左右一対、同時に植えられたとみられるとする。
高顕寺の桜は2本。境内のエドヒガンは推定樹齢500年。幹周5.7m、樹高13m、樹冠19.3m。山麓のシダレザクラは推定樹齢200年。幹周2.4m、樹高14m、樹冠17.2m。寺の開基は南北朝時代の僧行基と伝わる。エドヒガンは豊丘・延命地蔵堂の桜に匹敵する古木。樹齢は寺の歴史から推定。
大広院の桜は推定樹齢400年のシダレザクラ。幹周4.2m、樹高12m、樹冠7.5m。寺の創建は安土桃山時代の天正6(1578)年。創建のころ植えられたと考えられるとする。
洞入観音堂のイチョウは推定樹齢300年。幹周4.5m、樹高21m、樹冠20m。戦国武者の末裔(まつえい)と伝わる市川氏の文書や堂の縁起によると、慶長年間(1596〜1615)に洞入に定住し、宝永7(1710)年に旧観音堂を建てて一族で守るようになった。現観音堂は明和7(1770)年に建て替えられた。イチョウは旧堂の参道入り口に植えられたと推定される。
市の指定天然記念物は18〜24件目。
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