チチロー、イチローを語る〜鈴木宣之さん講演

2010-04-05 07:00 am by 須坂新聞

スポーツ icon 須坂市少年硬式野球連盟(青木精治会長)と酒井商会(須坂市高梨町・酒井志郎社長)は27日、スザカ迎賓館で米大リーグ・シアトルマリナーズのイチロー選手の父、鈴木宣之さんを招き「対談会」を開いた。会場には一般や関係者など、子どもから大人まで約250人が詰め掛けた。
 同連盟が来年度創立40周年、同社が今年創業100周年の節目の年を迎えることから企画した。
 酒井社長の質問に、鈴木さんが一朗選手(イチロー選手の本名)と共に歩んだ日々を振り返りながら話し、会場に向かって「そのとき私は何と言ったでしょう?」「どんな行動をしたでしょう?」などと問いかけながら、数々のエピソードを披露した。
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 イチロー選手が偏食になったのは「気持ちを真っすぐに育てたかったから。嫌いな物を好きなふりをして食べるなんて子どもらしくない。好きな物をたくさん食べたほうがいい」。しかし、必ずくる衰えに対して「選手生命を長続きさせたかったら、いろいろな物を食べなさい」と助言もした。
 イチロー選手が他人の家の花を故意に取ってしまったとき、一度だけ尻を叩いた。「体罰は後にも先にもこの一度きり。一度で十分。何度もやると効き目がなくなる」
 イチロー選手は小学3年で地元のスポーツ少年団に入団したが活動は日曜日だけだったので、夕方になると毎日近所の小さなグラウンドで一緒に野球をした。小学2年の終わりに「毎日続ける」と指切りをした約束を、小学校卒業までの4年間1日も休まず守った。「親がしっかり付き合うと、子どもは約束を破らない」
 足裏をマッサージするのが日課となり、高校の野球部の寮に入るまでの7年間、毎日朝と晩に続けた。「子どもとの良いスキンシップになった。言葉のやり取りはなかったが通じ合えたと思っている。続けてよかった」
 体が細かったイチロー選手が体格の良い子に負けないようにするためには「同じことをしていたら勝てない」と考え、ゴルフスイングのように体重を移動しながら打つ練習をした。「セオリー通りではなかったがうまくいった。その子に合ったものを教え込むことが大切」
 イチロー選手は独自で今のスタイルをつくり上げたのではない。「人のまねから入って最後に殻を破って自分の形をつくり上げるのが一流。物まねができる選手ほど器用でうまくなる」
 一人で生きている人間は居ない。「自分は生かされて生きているんだ─ということを絶対に忘れず、いつでも感謝の気持ちを忘れないでほしい」

2010-04-05 07:00 am by 須坂新聞 - 0 コメント



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