2009-10-12 07:00 am by 須坂新聞
須坂市相之島町の公会堂に飾られたF60号の油彩画が、100年以上前のふるさとの姿を鮮やかに蘇らせている―。明治15年から大正8年の間、千曲川をまたいで現在の相之島から長野市長沼を結んでいた舟橋を一望する叙情的な風景だ。
昨年春、地元住民6人で結成した「相之島舟橋を後世に伝える会」(市村文男会長)の事務局・三木一博さん(68)が、写真集「須坂 小布施 高山 若穂百年史」(昭和56年、須坂新聞社刊)に掲載されている一枚の写真をもとに、知人の勝山勲さん(81・沼目町)に絵画での再現を依頼。絵は昨年秋までに描きあがった。
橋は長さ約180m。川が深く流量の多い相之島側には15隻の舟が並ぶ。その上に橋げたを置いて板を並べ、針金で結んで両側の杭(留石)につないでいた。途中から長沼側に向けては木橋。当時は一帯を舟橋と呼び、善光寺参りの近道などにも利用されていたという。留石は河川敷から約30㍍入った位置に今も残っている。
勝山さんは「昔の人の団結心を感じながら描いた。先人への供養になれば」と感慨深げ。三木さんは「100年先、200年先まで、ずっと舟橋を伝えていきたい。イメージしていただけの風景が絵になって感激した」と話している。
原野となっていた舟橋一帯は昨年3月、国の事業でニセアカシアを伐採。後世に伝える会が結成してからは、定期的に草刈りを行う。地域の文化財を保護し、憩いの場になればと、現在「舟橋ミニ公園」としての整備を計画中だ。しだれ桜6本を植樹し、11月には手作りの看板もできあがる。
舟橋に関しての資料が相之島町にほとんど残っていないため、年内にも長沼の住民との歴史交流を考えているという。
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