「天地人」原作者の火坂氏が「直江兼続」を語る

2009-04-07 07:00 am by 須坂新聞

趣味・生活 icon 須坂商工会議所と中小企業相談所はこのほど、NHK大河ドラマ「天地人」の原作者の火坂雅志氏を招いて特別講演会「戦国名将の経営戦略」をメセナ小ホールで開いた。火坂氏は経済が混乱し人心が荒廃している今こそ、直江兼続の仁愛の精神を呼び起こすことが日本再生につながる―と会場に詰めかけた多くの人たちに呼び掛けた。以下要旨。
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 上杉景勝に仕えた信濃侍筆頭の須田氏は須坂市本郷町の出身。須田長義は直江兼続の妹キタと結婚、共に上杉景勝に仕えた。景勝の会津米沢移封にも随従し城将として活躍、子孫は米沢藩家老となって上杉家を支えた。上杉家と須坂市は深いつながりがある。
 直江兼続は「天下を任せられる大人物」と豊臣秀吉に評されたほどの智将。「利を見て義を聞かざる」戦国の世に「利を捨てて義をとる人」と讃えられた。その兼続の先生は上杉謙信。謙信は学校を作り、有為の青年に戦いの仕方を教えた。兼続はその謙信の一番弟子であった。
 内乱が続くと経済が混乱し、人心が荒廃する。人は猛のごとく暴虐や暗殺を繰り返す。その中、謙信は「それでいいのか」と、信義、正義、義侠心を掲げた。乱世下に理想論とあざ笑われた。
 だが謙信は信頼できるとして、多くの人材が集まった。名将と慕われた謙信だが、若い頃は家臣団をまとめられずに悩んだ。毘沙門天信仰で夢のお告げで決断するなど、神がかり的な所もあった。
 謙信は用水や新田開発など民生の安定を図り、金山、銀山などで巨万の富を築き、戦国第一の経済大国とした。謙信が49歳で倒れ、1年間に及ぶ内乱はあったが、19歳の兼続が景勝を支えた。その間信長は最強の武田家を滅ぼすなど、天下人の道を歩む。
 信長は門閥に関係なく実力者を登用するなど改革者であった。だが延暦寺を攻略し、周辺の老若男女2万人を無差別に殺した。部下に意見させず、左遷・追放の恐怖政治を行った。天下を取っても人心が離れ、優秀な部下・明智光秀に暗殺された。信長は天の時も地の利もあったが、人の和がなかった。天地人がそろってこそ争いがなくなる。
 兼続は「庶民を殺戮するのは真のリーダーではない」と見破り、信長の最大の失敗は人徳のなさと結論する。兼続が掲げた愛は謙信の義に通じる。仁愛の心で衆人に接することを心掛けた。新渡戸稲造は「武士道」で「武士道は義理と仁愛の二本柱で成り立つ」とした。義理は品格であり、仁愛は弱い者をかばう精神。謙信、兼続はその模範である。
 200万石超の上杉家は米沢藩30万石に減移封された。兼続は「家臣こそ財産」としてリストラせず、不毛の大地を耕し、銀山開発、べに花やコイ養殖など換金性のある産業を興し、経済基盤を建て直し、50万石以上の力をつけた。農民に交じって畑作業にも励んだ。上杉鷹山は兼続を手本に財政改革した。今の日本に足りないのは「弱きを助け、強きを挫く」という仁愛の精神。今の社会も経済が混乱し人心が荒廃するなど戦国時代に通じている。日本の再生にはこの仁愛の精神を呼び起こすことが必要だと思われる。

2009-04-07 07:00 am by 須坂新聞 - 0 コメント



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