臨済宗妙心寺派の僧侶、関山国師へ参拝団

2007-06-19 07:00 am by 須坂新聞

お知らせ icon 妙心寺(京都、臨済宗)を開いた関山慧玄(えげん、関山国師、無相大師、1360没)の出生地を須坂市高梨として顕彰活動を続ける日野地区・高梨町に7日、臨済宗妙心寺派の四国西教区強化本部(愛媛・高知)から僧りょ20人がバスで訪れた。生誕碑見学後、高梨町公会堂内の浄源庵で礼拝対象の位はいへ参拝し、関山国師奉賛会の小布施茂会長が説明した。
 住職研修会で千曲・県立歴史館や中野・霊閑寺、同・高梨家古城跡、飯山・正受庵を巡って「関山慧玄生誕の地」(旅行資料)の須坂市へ。事前の連絡でも「無相大師生誕の地参拝の受け入れをいただき…」と記され、奉賛会員らが出迎えた。
 滞在時間は40分ほど。関山国師・高梨家と日野高梨地区の関係を説明した小布施会長は「生誕碑を建てた昭和初めの日野村の活動を引き継ぎ、本山参拝など10年を超える活動を続け、よくここまできた」と感慨無量で取材に答えた。
 位はいは来年9月に東海大光管長が開山ゆかりの地で巡拝法要を営む際に使われる。高さ60cm(無相大師)と40cm(高梨家)で4月に新調された。

2007-06-19 07:00 am by 須坂新聞 - 1 コメント



高梨明宏 @ 2021-10-21 08:27 pm

私は76歳。明治半ばまで新潟の見附今町に大庄屋として5万坪の屋敷に住み
800町歩の田を持っていたそうです。父は生前よく高梨家の本流中の本流
流れの家柄だと、また慧玄の話もしていました。
上杉謙信の時代に、信州中野高梨城が武田に攻められ上杉を頼って行った
れの本流と聞いています。上杉と米沢に行ったのは四男です。長男は川
島で戦死、次男は病死?、三男は家督を継いだがおだての乱で景勝に誅殺
され、その子の子孫だと思っています。古文書は大正時代消失。
慧玄を輩出した高梨家の本流の末裔と思っています。他の高梨を名乗る人
お会いしたいです。
電話 090-9143-7333
世田谷区桜丘4-6-6

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