2006-01-18 12:00 am by 須坂新聞
J2サガン鳥栖のMF高橋義希選手(20、須坂市出身)が先月21日、三木正夫市長を表敬訪問した。JFC須坂の恩師伝田明康総監督と須坂ヴェンセールの恩師中村保志監督が同席して市長室で懇談した=写真。元日には同サッカースクールが須坂温泉体育館で初練習を行い、OBの高橋選手と同期のOB大峡浩選手(20、流通経済大サッカー部、仁礼町)が元気に参加した=写真。 プロ2年目を終え、亀倉町の実家に帰省した高橋選手は、2005リーグ戦(12チーム)で鳥栖8位に貢献した。44試合14勝10分20敗。58得点58失点。勝ち点52。高橋選手は40試合に出場し、3,400分戦った(前年27試合、2,251分)。4得点(前年1)は3月の徳島戦、4月の京都戦、8月の横浜FC戦、9月の札幌戦で挙げた。
6月にはU―21日本代表に選ばれ、フランス遠征を経験した。日本はメキシコに分け、フランスと南アフリカに敗れ、1分2敗。11月の天皇杯4回戦で鳥栖はJ1ジュビロ磐田に0―4で敗れたが、高橋選手は3シュートを記録した。
市長訪問で高橋選手は「佐賀県は長野県のようで住みやすい。鳥栖市内でのアパート生活は、外食が多いが、チームが用意する店なので栄養面の心配はない。フランスで3試合を経験し、落ちついてきて力が出せる」と近況を語った。
三木市長は「子供たちの目標で須坂市の誇りだ。信念を持っている人の顔つきは良く、素直な目だ」とたたえた。
恩師の2人は「プロ入りは松本育夫監督(高橋選手の松商当時に地球環境高監督)との縁が大きい。プロの道が安定するかターニングポイントで長生きできるか、来季が試練と勝負の年。北信から2人目のプロが誕生するようジュニアチームへも顔を出し、応援団も増やしたい。五輪出場も視野に頑張ってほしい」と期待した。
懇談後、取材に対し、高橋選手は「天皇杯でジュビロに負けたが、すごい体験ができた。チームはJ1を目指している。満足の結果ではないが、(J2戦の)4点目(札幌戦)のループシュートは印象に残っている。点はもう少し取りたかった。好機をものにできたらもっとよかった。成長したが、まだ通用しない部分も多く、人の倍やらないと残っていけない。厳しくなるのは分かっている。練習や試合で取り組みたい」とプロの自覚をのぞかせた。
元日にはJリーガーの華麗なプレーを後輩に見せつけた。立花悠君(中2)は「足にボールが吸いつくプレーだ」。田中稔大(としひろ)君(同)は「動きが速く、後ろに目がついている感じ」。北島孝人(たかひと)君(同)は「足元がうまかった。周りを見ていてすごい」と感想を語った。
一方、恩師や知人に再会した大峡選手(写真左)は茨城県竜ケ崎市の法学部2年。大学は2005関東大学リーグ1部(12チーム)に昇格し6位に。総勢130人。前期は2年生チームで、後期はトップチームでリーグ戦にもベンチ入りした。
「JFLは7試合ほどMFで出場した。大学生に比べると、強く、試合運びがうまかった。身長(160cm)が低いので正確にプレーし、周りを動かせる選手になりたい。ダブルボランチの1人としての役割があり、レベルの高いサッカーを目指したい」と抱負を語った。
2006-01-18 12:00 am by 須坂新聞 - 1 コメント
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