八幡町で国道拡幅に伴う調査出土したのは?

2014-08-02 07:00 am by 須坂新聞

お知らせ icon 市教委は国道403号拡幅に伴う埋蔵文化財調査を、6月23日から7月末まで八幡町で行った。道路脇の東西40?、南北6m、深さ1.2mの範囲を1日10人ほどで掘った。東側から古代の竪穴住居や住居の土留め用か、礫(れき)石が北東隅に11個並んで出土。また、古代の遺物が大量に出た。一方、西側からは縄文晩期(2500年〜3000年前)とみられる土器片が500点ほど出土した。黒曜石片は80点ほど。土製円盤は40点ほど。
 竪穴住居は南北約6.6m、東西約7.3m。角が丸い隅丸方形から奈良・平安時代の典型的な住居とみられる。県内では5m四方が一般的とされ、やや大きめ。柱は6本か。
 竪穴住居の北側からは石組みのかまど跡が出土した。かまどの内部に赤く焼土が残り、土師(はじ)器(素焼き土器)の甕(かめ、長さ25?ほど)が出土した。
 7月10日から18日にかけて掘り進めて判明した、住居の存在を示すかまど跡について、近くで作業した原伸一さんは「地面から80?付近で5?ほど丸い石がのぞき、掘っていったら土器片が見え、丸い石の全体も見えてきた。さらに下に赤い土(焼土)が広がっていた」と話す。
 同じく南側床面近くからは、8世紀とみられる須恵器の坏(つき)が出た。
 また、竪穴住居南側から須恵器の甕の底部分(直径約30?)が二つに割れて出土。窯跡(中野市付近にあったとみられる)の土が付いていた。中央北寄りからは馬の歯(長さ15?ほど)が出土した。
 土留め用とみられる石は直径10?〜20?ほどが並んでいた。
 調査した田中一穂学芸員は取材に「奈良時代末の竪穴住居か。ムラがあった可能性がある」と推定する。
 一方、縄文の遺物のうち、土製円盤は直径2?〜5?ほど。中央に穴が開いているものと開いていないものがあった。田中学芸員は「土器片を再利用したおもちゃ(おはじき)や首飾りか」。
 また、黒曜石の破片や大量の土器片から「ムラはずれの捨て場のようだ」とし、「須坂では珍しい縄文時代の遺跡。晩期にムラがあったのではないか。須坂市街地に住み始めていることを示している」と話す。

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