惜別の河東線を詠む〜須坂市小山町の木売友さん 本紙に短歌寄せる

2012-05-20 07:00 am by 須坂新聞

趣味・生活 icon 須坂市小山町の木売友さん(87)は3月末で廃止になった屋代線への惜別の思いを短歌にしたため、本紙に作品(別掲)を寄せた。綿内駅前(長野市若穂)の出身で、人生とほぼ同じ90年の歴史を刻み、若いころ毎日利用した同線に「どうしてもありがとうが言いたかった」と、1人で杖をつきながら感謝イベントの電車に乗車、当時の思い出が次から次へとよみがえり、涙が止まらなかったという。

 木売さんが小さいころ、綿内駅前は大変にぎやかで、通称「停車場」と呼ばれ、絶好の遊び場だった。学校を卒業した昭和17年、富士通須坂工場に就職。当時は全寮制で、外泊許可が出た時は河東線(平成14年4月、屋代線に改称)に飛び乗って実家に帰ったが、翌日の就業時間には朝1番の電車でも間に合わないため、早朝に須坂市穀町の同工場まで歩いて戻ったという。
 戦後になって電車通勤が解禁となり、結婚するまでの6〜7年、毎日電車を利用した。当時は須坂へ行く人、乗り換えて長野まで行く人など都会並みのラッシュで、駅員が乗客を押し込むのに時間がかかり、駅前に住んでいた木売さんは「電車が来てから家を出ても間に合った。帰りは座ってこられた」と懐かしそうに振り返る。
 また、平成20年に84歳で他界した夫の実美(じつみ)さんは元長野電鉄勤務。当時の綿内駅長に紹介された。長野市出身で、結婚して須坂に移り住んだ。
 木売さんは「私にとって長野電鉄と河東線は切っても切れない縁がある。屋代線と言うより河東線と言った方がなじみ深い。綿内駅では、戦死した唯一の兄の出征を見送り、動物が乗るような屋根のない車両に乗せられたこともある。そして、主人と出会った。皆に仲良くしてもらい、皆に支えられ、ここまで生きてこられた。感謝イベントに参加できて本当にうれしかった。つたない歌だが、形に残しておきたかった」と、万感の思いを話してくれた。

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