2013-02-23 07:00 am by 須坂新聞
東日本大震災から間もなく2年を迎えるのを前に、須高地区住民ら約30人は11、12日、被災地の宮城県南三陸町と登米市を訪れ、仮設住宅で暮らす人たちに郷土食を振る舞ったり、交流するなどした。南三陸町の復興まちづくり推進員で、震災語り部ガイドの後藤一磨さん(65)によると同町を訪れるボランティアは減少傾向にあるといい、国民の被災地に対する関心の低下、震災の風化を懸念している。
一行は長野ツーリスト(須坂市馬場町、大峡悟社長)主催のボランティアツアーで、登米市にある南三陸町住民約350世帯が暮らす仮設住宅を訪れた。集会場で手分けしてそばやひんのべを作ったり、美容師によるヘアカットのほか、歌やビンゴゲームをするなどして触れ合った。
そばは、市川松雄さん(須坂市豊丘町)が自家栽培したそば粉を使って男性陣が手打ちした。仮設住宅の住民も挑戦し、のし棒で生地をのばしたり、包丁で切るなどした。ほかに、おやきやリンゴなども用意し、約80人が味わった。
高橋新子さん(73)は「そばは風味とこしがあっておいしかった。南三陸に戻りたいが、まだ家が建てられないし、復興には時間がかかる。いろんな人に来てもらい、交流するのは刺激になる」と話していた。
一行は翌日は南三陸町を視察。同町は東日本大震災で約850人の死者・行方不明者があった。津波で町の約60%の建物が損壊した。昨年8月末現在、町の人口は4,887世帯15,309人。仮設住宅58カ所2,168戸で約6,000人が暮らす。町内に平地が少ないため、隣接する自治体にも仮設住宅を設けている。
後藤さんによると養殖や漁など水産業は少しずつ再開されているが、住宅地の高台への集団移転や、新たなまちづくりは、制度や合意形成などの面から、思うように計画が進んでいない状況という。
物資の支援や、人手が必要ながれき撤去などの需要が減りつつあることなどから、訪れるボランティアが減少しているという。一方で個人や団体、地域ごとにメンタルケアや生活、産業、福祉、まちづくりなど求める支援が多様化しており、まだまだボランティアの力は必要という。
「先が見えず不安を抱いている被災者は多い。自分たちのことが忘れられてしまうのではないかとも思っている。顔を出してもらい、話を聞いてもらうだけでも安心感につながる」と訴えた。
定期的に檀家らと隣の気仙沼市も訪れて支援、交流活動をしている普願寺の業田昭映さん(須坂市南原町)は「南三陸も気仙沼も被災者は狭い仮設住宅で暮らしていて心が痛む。新たな住宅地の建設も遅く、もどかしい。今後も継続して支援し、被災地との絆を大切にしていきたい」と話した。
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