【須坂地方の戦国時代】市誌執筆中の村石さんが講演〜一族存続かけ強者に付く

2016-12-17 07:00 am by 須坂新聞

趣味・生活 icon 県立歴史館専門主事で須坂市誌(来年春刊行)を執筆中の村石正行さん(須坂市出身)は先ごろ、旧上高井郡役所で「須坂地方の戦国時代」を講演した。小県の真田氏が上杉・徳川領の境界にいて一族の存続を図るため両者に接点を持ったのと同様に須坂の須田氏も武田・上杉に付いた。川中島の戦いで前線になった(弘治3年ごろ)ため、両者に付いたと捉えた方が理解しやすい。一族が分裂するのはこの地域の特徴、と述べた。
 須田氏は信頼・信正の系統が武田に、満国・満親(みつちか)の系統が上杉に付いた。
 川中島の戦いでは、あまり目立たないが、弘治2年から3年にかけての3回目と言われる戦いが須坂地域に関わる。攻防の対象は松代東条にあり、難攻不落と言われた雨飾城。もう一つの拠点は若穂綿内の春山城。
 松代の西条・寺尾や綿内(井上氏一族の井上左衛門尉)、仙仁氏が武田方に付いた。仙仁氏は保科の小出に移った。武田方は布野など千曲川の渡し場の交通の要衝を抑えるために家臣を移動させた。
 これに対し、上杉方は弘治3年4月に善光寺に陣を張り、武田方に付いていた山田の要害(高山村駒場の城)と福島の地(須田信頼の須坂市福島城)を奪い取った。福島は千曲川の渡し場に当たり、重要な拠点で、両軍が重視していた。
 弘治3年の戦いは、河東地域の武士の戦いとも言える、と史料を示して説明した。

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