2016-04-02 07:00 am by 須坂新聞
1973(昭和48)年から2年間にわたって、須坂市野辺で実施された22.7haのほ場(田畑)整備事業の記念碑が野辺町に建立され、27日、関係者約50人が出席して除幕式を行った。
ほ場整備したのは、高甫橋から臥竜橋にかけての百々川南側一帯で、現在は通称ブドウ団地と呼ばれている。
稲作生産調整(減反政策)を進める国などの補助事業として、関係地権者89人が整備組合を組織して行った。水田地帯を主に畑へ転換した。
組合長を務めた中沢允(まこと)さん(82、野辺町)によると、当時、一帯は自家用米を作る水田がほとんどだった。形や大きさが不規則な「ウナギの寝床のような田んぼ」が並び、農道も「一輪車しか通れない場所が多かった」という。
当初は減反に不安を感じ、事業に反対する地権者が多かったが、先進地への視察や、粘り強い説得で賛同を得て実施した。
区画整理や農道整備などで生産性が向上すると共に、将来性を見込んでブドウ栽培に力を入れ、現在では事業対象区域のほとんどがブドウ畑となり、市内有数の産地となった。
関係者の高齢化が進んでいることから、記念碑を残して後世に伝えることに。建立委員会を設けて、野辺町の「赤地蔵」隣の区有地に建てた。台座部分を含めて高さ約2m、幅約1m。黒御影石に「農拓」の文字と、裏に事業概要、関係者の氏名などを記した。
中沢さんは「関係者の、時代に遅れない農業をしなければという思いが事業の支えになった。記念碑は、事業をやって良かったというみんなの喜びの表れだと思う」と話した。
2016-04-02 07:00 am by 須坂新聞 - 0 コメント
Tweet© 須坂市公認ポータルサイト・いけいけすざか. ALL Rights Reserved. Privacy Policy